むかし,オレは、たとえ聞いてくれる人は少なくてもやりたいことだげを、ささやかにやっていればいい、という考え方に共感していたときがあった。
でも、レコード出すからには、そして音楽の世界で男として生きていくことを決めたからには、「勝負せにゃいかん」のである。
オレは、小さいころからどんなことでも、負ける、というのは自分で許せなかった。これは、音楽の世界に入っていなかったとしても、同じだったと思う。生きていくうえで、負け犬人生を歩みたくなかった。
だから、オレは、チャゲ&飛鳥が世に出たからには、世に出た意味のあるものにしたかった。「しょせん趣味を仕事にしているんじゃないか」といわれるかもしれないが、音楽の世界って、それだけじゃない。オレは戦いだと思っている。
そんななかで、シングル「万里の河」がヒートし、アルバム「熱風」が一位になったとき、オレは、初めて、デビュー戦を飾った、と思った。
そう、まだ、デビュー戦を飾ったばかりだとも思っている。
そして、’81年春、全国六〇ヵ所“熱風”ツアーが始まり、夏、田園コロシアム•コンサートを行なった。
「ツアーが始まって何日たったろう、ツアーが終わるまで何日あるだろう、どれだけの人の前で歌って、いくつことばを並べたろう……」
こんなことを考えながらも、異常な気持ちの高ぶりを体験した。
そのピークが、田園コロシアムだった。灼熱の太陽のなか、六〇〇〇人のお客さんを前に、一瞬、お客さん迫ってくるような恐怖におそわれた。オレは正面きって歌うと、あがりそうで、空ばかり見て歌い始めた。でも、二曲目に入ったころには、もう、
「さあ、来い!どこからでも」
と、オレは客席に向かっていた。
後半、なにげなくチャゲを見ると、あいつも必死に汗をかいていた。そにとき、こいついい顔してるな、と思った。そして、アンコールでは、“死ぬぞ!”という感じにすらなった。
このツアーは、8月21日、沖縄で幕を閉じた。六〇ヵ所、すべての会場の熱気と興奮が、しばらくオレの体から抜けなかった。熱にうかされているようだった。
こんなにも熱い体験が、オレの人生のなかの、まだかけ出しのときにできるなんて、いったいだれが想像したことだろう。そして、みんなとこんな形で出会えるなんてことも。
オレは、デビュー戦に勝ってよかった、と改めて感じた。そうでなければ、オレは、みんなと出会っていなかったかもしれないのだから……。
'81年11月10日
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以前,我吧,经常会感受到这样的想法,即使是听的人再少也只想做自己想做的事,哪怕是一点点也行。
但是,既然出了唱片,既然决定作为在生活在音乐世界中的男人,就“必须决一胜负”。
我从很小的时候开始,不管做任何事都不允许自己失败。即使没有步入音乐世界,也是这样。只要活着,便不愿成为失败者。
所以,既然チャゲ&飛鳥诞生到这世上,就要有诞生的意义。也许会被说成“反正不就是把兴趣作为工作么”,但在音乐的世界里而言,不仅仅是这样吧。我认为那就是一场战斗。
在那种情况下,单曲“万里之河”大受欢迎,专辑“热风”排名第一时,我第一次感到是漂亮地打响了出道战。
是的,才感觉是打响了出道战。
然后,81年春天,全国范围60场“热风”巡演开始了,夏天,在田园圆形剧场的演唱会举行。
“巡演开始了多少天,直到结束还有多少天,在多少人面前歌唱,要说多少话……”
即使只想着这些问题,也可以感受到那种异常兴奋的心情。
到达顶峰的是在田园的圆形剧场里。在灼热的阳光中,在6000位观众面前,刹那间有种被观众们临近逼迫的恐怖感侵袭过来。一旦要正面演唱,像是会有些紧张,只能看着天空开始唱歌了。但是,进入到第二首时,我已经面向观众,“好,来吧!不管从哪里”。
后半程,不经意看了看チャゲ,那家伙也在拼命流着汗。那时候,觉得这家伙脸色不错。然后,到安可的时就觉得“那就死吧!”
这次巡演,8月21日在冲绳结束。总共60场,整个所有会场的热度及兴奋,在很长时间里都不能从我身体里清除。有点被烧昏了的样子。
就是这样火热的体验,在我的人生中,在刚开始的时候就能够完成,到底有谁能想象得到呢。同样,和大家能以这种形式见面也是如此(无法想象)。
我再次感受到,初战胜利真是太好了。如果不是这样,我也许就不会再与大家相遇了吧……
'81年11月10日 |